逆子だったので、帝王切開になった。
帝王切開当日ー
帝王切開のことの流れは本やインターネットで予習済みだったので、後の
痛みとお腹を切る恐怖との戦いだと思ってたけど甘かった。
今日の午後からひとり帝王切開をした後私の番だったので、牢屋の
死刑囚のような気持ちで里彩パパと病室で待つ。
昼過ぎ、麻酔が効きやすくなるための注射、電解質の点滴開始。
2時半頃(?)看護婦さんが呼びに来る。
私の手術のイメージでは、手術着を着てカラコロ動くベッドに寝て、
付き添いの人が見守る中別れを惜しみつつ手術室に運ばれる・・・
というものだったけど全然違う。(苦笑)
パジャマのまま自ら手術室へあるいていき、完全装備で準備中の看護婦
さんから「パジャマと下着脱いで、その台に上がって横になってね。」
といわれ、踏み台から高い手術台へ素っ裸にバスタオルを巻いてあがる。
↑このときはもう泣きそうな状態。ジェットコースターに乗ってガタンゴトンと
最高地点に上るまでの、あ~やっぱり乗るんじゃなかったの後悔の気持ち
に似てるけど、その何倍もの恐怖と不安な気持ちだった。
手術台に横になると、看護婦さん2人がいつもの慣れたことといわんばかり
の雰囲気で準備しながらたあいない会話をしている。
しばらくして以前診てもらったことのある先生が元気良く笑顔で入っ
てくる。明るくしかも落ち付いた、患者としては何気にありがたや~と
思わせそうな先生である。今度は私は牢屋の死刑囚ではなく、
矢がささって動物病院に心ある人から連れてこられた鳩のようなかんじ。
(↑とにかく借りてきた猫状態)
この時何か喋らされたら小声で、おにょおにょ言ってしまいそうだ。
他にも何人か人が入ってきてた。あと執刀医の先生も。
硬膜外麻酔をしてもらうため看護婦さんに私はだんご虫のように
丸められる。
背中に太い針が入るのを感じ、腰の背骨(腰椎?)に鈍い気持ち悪い痛み
がずい~っとくる。
痛くてびくって動いたら、動いたら危ないよと先生に言われる。
しばらくして麻酔がきいて両足がしびれて重たくなってきた。
横向きの芋虫状態から動かしてもらって仰向けになる。手術の様子が見え
ないように顔と胸の間に布が立てられる。なんか周囲ではなんてことないいつも
のことという雰囲気があって先生や看護婦さんの会話もいたってふつ~で
私だけ別世界にいるような心境。今これから起こることをコピーロボットなんかに
じゃ代役よろしくっ!とか言って私が去ることができればなーと思う。
先生におそらくビンセットのようなものでお腹のいろんなところをつままれて、
これ痛い?とかきかれる。つままれてるのはなんとなくわかるけど痛くはないので
大丈夫ですと言う。しばらくして手術開始。
痛みはないけど、あ~切ってるな、とか、なにやら下腹をもそもそいじってるな、
という感じがしてて気持ち悪かった。早く終わってくれないかなーとばかり考え
ていた。
赤ちゃんが出てくるのは手術開始から5分もたたないと、どの本にも書いてあった。
手術室の大きな時計が見えていたが、いっこうに赤ちゃんが出てくる気配がない。
あれ・・・?
枕もとでおそらくベテランの看護婦さんが見習いの看護婦さんらしき人に、
「今出てるのが膀胱よ。」と説明する声が聞こえた。
オイオイこわいっちゅうねん。。。やめてくれー
おかしいなぁとどんどん心細くなってきたらなんか麻酔が効いてるけど下半身が
乱暴に揺さぶられてるのを感じた。揺れが上半身にくるからわかるんだけど、右に
左にそして時にはちょっと浮く。多分赤ちゃんひっぱってるなと思った。
帝王切開ってこんな出し方するんかなー・・・
いつかはっきり覚えてないけど急に肺、心臓、胃、とにかく胴体の上の部分が
ひきつったようにきゅうに激痛がはしった。それからはもう七転八倒、大騒ぎした。
肺がちゃんと動かないような、とにかく息ができない!!苦しい!痛い!!!!
普通の帝王切開では起こりえないことが自分の身におきてることは明らかだ。
(苦しい!!もう殺してーーー!!!)と本気で思った。
「痛いー苦しいー息が出来ない!!と泣いて叫ぶと先生はどこが痛い?とか
ちょっと聞いてくれるけどそれ以外のことは何も先生たちは言わない。こんなとき
何か処置してくれないのか、それとも先生にも何が起きたかわからないのか。
看護婦さんが不安そうに「先生眠らせてあげましょう。」というようなことを言う
のが聞こえた。(そうしてぇ!楽にしてぇ)と心の中で叫びつつ、でも先生の
返事はなかった。そのとき例えば安楽死にしましょうとかいう会話が聞こえた
としても大歓迎しただろうと思う。
真上のライトを見ながら、ありゃこれは死ぬかもな。とふと思ってからはもう、
病室に帰るまで苦しさと痛さのあまりほとんど目もあけられなかった。
すると看護婦さんが、「あ~赤ちゃん出ましたよ。」と言った。
でもそれに感動してる場合ではなかったので無視。でも苦しみながらも、あれ、
泣いてないやん、てふと思ったけど、それどこではない。
しばらくして看護婦さんが
「せんせ~い、赤ちゃんがちょっとしんどそうなんですけどぉ・・・」
っていう声が聞こえた。
聞こえたけど、今なら「なんですってーーー!!?」と反応することだが、その
時はただ聞こえただけ。
しばらくして産声が聞こえた。その間中も相変わらず私は七転八倒。
(下半身は動かず、手は十字架のように縛られてるので、首を左右に振ったり
台をひっかくくらいしか動けないけども・・・)
看護婦さんに「赤ちゃん見れる?」
と聞かれるが思いっきり首を振った。こんなに私が死にそうなのになんてのんき
なこというのかと目が怒ってたかも・・・
でも眼鏡をかけてくれて見せてくれた。右横を向いて見た瞬間、おぇっとなった。
決して赤ちゃんを見て気持ち悪かったとかそんなんじゃなくて、苦しいときに
急に動いたからか、麻酔のせいか、、もう見るのもしんどかったので「あ~ありがとうございますー。」
とだけ言って、さっと首をもとにもどした。
縫合が済んでから麻酔が足された頃、息苦しさが少し和らいできた。
もうろうとしてきて、あ、終わったんだなー、運ばれてるんかなーとは思ったけど
目を開けたら病室に居た。まだお腹全体が痛かったので麻酔が足されたことも
あって今思えば少々私はハイになってラリっていた。
しばらくして里彩パパが病室に入ってくると、なにやら手術中の苦しかったこと
とかぺらぺらしゃべりまくったような気がする。
次の日には何を言ったかはっきり覚えてなかった。
手術後も多少顔をしかめるくらい痛かったけど、手術中にくらべたらまだよかった。
麻酔や痛み止めのせいで少々もうろうとしてたけど、里彩パパにしてはかなり
おちゃめに「よくがんばった、感動した。」と小泉首相の物真似をしてたのを
私は聞き逃さなかった。。。
その夜、夜中あまり眠れなかったけど、生まれてすぐ撮影してもらった里彩
の写真を枕もとに置いて何回も見た。背中に麻酔を刺したままだったし、
痛みより、里彩の写真を見ながらなにか充実感のようなものを感じていた。
点滴換えたり血圧測ったりで夜中看護婦さんが何回も部屋に来られる。
後から先生に聞いたところによると、赤ちゃんを取り出すのに時間がかかりすぎた
為、羊水とまざって固まった血液が肺の血管に詰まって血栓となり、
肺(羊水?)塞栓を起こしたとのこと。これは死に至る場合もあり、結果論だけど
何事もなくてよかったです、、、って。んなアホな。こわいっ!
もし今度子供を産むことがあるなら、私は間違いなく遺書を書いて臨む!
あ、でもこんなことってすごく偶発的なものでめったにないことらしい。
これから帝王切開予定の方には念の為に申しておきますが。
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